旭岳(2291m)      天候 快晴

登山口へのアプローチ方法や地形図など、詳しいことは2009年5月10日の山行を参考にしてください。



↑5:56 東川町の景色です。



↑登山口に着いたのが6:28でした。ロープーウェイ駅から旭岳がクッキリ見えました。この時期は駅前の駐車場は無料開放されています。
@がスタート位置です。



↑スタートしたのが7:10。最初から急な斜面が出迎えます。コースは最初に分岐がありますから進行方向に向って右を選びます。



↑だれ〜もいないコースを、ひとり独占状態で登っていると、コース整備用の圧雪車が追いかけてきました。邪魔にならないように右脇に寄ると、
わざわざ圧雪車も右脇に寄って整備してきました。どうやらコース幅があるため最初は右脇から整備をしているようです。…知らんかった。
↑第1天女ヶ原でようやく旭岳の頂上がチョッピリ見えます。



↑第2天女ヶ原の分岐手前に着いたのが7:55。やはり5月に来た時より積雪が多いです。




↑約3週間ぶりの山行なのでペースはユッタリ目で進めています。この谷の底を通過すれば姿見の池が見えるはずです。



↑石室に着いたのが9:18。石室の傍にある「大雪山愛の鐘」は1962年12月30日に遭難した道学大函館分校山岳部の部員10人が遭難死したことを契機にし、大雪山系全体で遭難死した登山者達を鎮魂するため1963年9月29日に建立された物です。その後、老朽化で鐘が落ちるなどしたため平成18年に補修されました。



↑とにかく良い天気です。風もこの時点では3mほどと山で言えば無風状態が続いていました。



↑トムラウシと十勝連峰がクッキリでした。



↑8号目に着いたのが10:24。標識に3.11震災の復興を願う2名の署名布が縛り付けられていました。



↑8合目からはクトーを装着していても登りがきついため壺で登ることを決定しました。しかし、ブーツ用のアイゼンを車中に置いてきたためそのままです。ブーツの爪先を2度か3度蹴りこむとステップが切れるので「大丈夫だろう」と判断して上り続けました。



↑8合目で後続者に追い越されてしまいました。しかっりクランポンを履いた方で、リズム良く登り、カナリのスピードで追いつけません。
相手はロープーウェイを使用しているし、こちらはスキーをザックにつけてでは勝負になりませんでした。



↑9合目付近では、クランポンの跡さえ探さないと見えないほど表面が硬いクラスとでした。↑ニセ金庫岩と金庫岩付近では、15m以上の強風でした。エビが「ピュンピュン!」飛んで顔に当たります。頭の上に5aくらいの塊が何個も飛んで行った時は「・・・タラ〜・・・」と冷や汗モノでした。
通常、風が強いと画像に白く雪煙が写ると素人の方は思いますよね。それは違うのです。このように周囲が凍りつき、飛んでしまう雪が無いと白い粉雪が写りません。  

でも、強風なんです。



↑9合目からの歩みは一歩ずつです。青線ルートで進みます。ザックに縛り付けたスキーが、まるでヨットの帆のようになり、歩みが厳しいです。



↑頂上を踏めたのが11:49。5分ほど先行者とお話をしてさっそく下山です。風が弱ければ穴でも掘ってラーメンを作ろうかと思っていましたが、剃れどころではありません。体ごと飛ばされそうな風です。下山さえ危うい状態なので、第2天女ヶ原付近まで下ってから食事と決めました。頂上標識を下山方向に向けて撮影しました。



↑シュカブラ(風紋)が細かくできているので、スキーのエッジは利きます。かろうじて「ががががが・・・」と制動をかけるのです。粉雪は一切ありませんでした。太腿の筋肉が悲鳴を上げっぱなしで、休み休み…キックターンを多用しました。転べば谷底まで滑落することは必至ですから。



↑北斜面まで回り込み、高度が下がると回りに積雪が増えてきました。斜面の上部を写すとご覧のように粉雪が舞い上がっていました…いえ、表現が違いますね。舞い飛んでいました(笑)。



↑第2天女ヶ原まで下がってくると、クロスカントリーの選手が練習をしていました。私が滑り降りている方向を、彼らは登ってくるのです。それも駆け上がってきました。30分休んでラーメンを食べ、駐車場に着いたのが13:47でした。やはり4月はまだ、クランポンが必要です。

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